寝つきの悪かった夜

雑記ブログ

昨夜は風の音が強かった。

そのせいではないが色々な要素で昨夜は寝付けないでいた。

夫は家にいる時テレビを点けっぱなし状態で、それは夜中も同じ。

よくある話だがこちらが勝手に消すと、「見ていた」とまた点けるからいたちごっこになるのでテレビを消すのは諦めている。

本当は電力節約を心がけたいがそれは同居している限り無理。

年齢と共に夫は耳も聞こえずらいのか、テレビは結構な音量。

あまりにうるさいと2階から息子が降りてきて注意するがその時は音量が下がるが三日と持たない。

それでも普段の自分なら時間になったら寝付いているのだが、昨日のテレビはユーミン特集の番組のようでいい曲が流れていた。

ユーミンの曲は何曲かスマホにも入れていて、歩く時に聴いている。

ユーミンの曲が次々と流れる中、夫はいびきをかいているようだが長くは眠れない人だからいい所は見逃してそのうち起きるだろう。

懐かしく思いながらユーミンの曲を聴き、アメーバブログのおすすめをいくつかを見てみると心に響いたブログがあって読みだしたら止まらなくなってしまった。

アメーバブログが眠気を吹っ飛ばしたのだ。

Mさんのブログ

Mさんのブログはご両親と義理のお母さんの介護、それに加えてご自身の入院加療、昭和気質とストーカーめいたご主人の縛り等を淡々と引き気味の目線で語っている。

とても惹きつけられる文章でまるで作家さんの本を読んでいるような感じ、理性的で客観的に物事を見ている。

Mさんは普段、滅多に感情的にならないように努めている方のようだ。

Mさんのブログは去年の夏から始まっているが、その前から別の名前で綴られていたようでブログ歴は長いのかもしれない。

もっと前のブログも見てみたい気持ちになるが、今のブログ以前のものは削除されているのかも。

ご両親の介護と義理のお母さんの介護

1人だけの介護でさえ度合いによってはかなり大変なことなのに、Mさんは今、ご自分の通院に加えてご両親の通院介助や義理のお母さん(認知症らしい)のお世話に明け暮れている。

この義理のお母さんというのが凄くて留守電に何度も言いたいだけ言ったり、入院先にまでラインや携帯に何度も連絡してきたりとメンタルを壊すに充分過ぎる方。

ここまで凄いのは認知症のせいとは言えず、認知症を患う前から、嫌味のこもった言い草の方のようだし元々性格が悪いのだろう。

普段の行いが自分に何か降りかかった時に返ってくるのだと思う。

お世話になりながら「ありがとう」じゃなく「当たり前」と思うようじゃやっていられないものだ。

自分も昔のことをつい思い出してしまった。

通院はそれでなくても病院での待ち時間との戦いなのに、自分の両親と義理の父親の通院がダブルブッキングしてしまったことがあった。

どちらも譲らず結局丸一日が両親と義理の父親の病院の付き添いと送迎で潰れてしまった。

同じ病院での通院だったからまだしもだが、どちらの親もせっかちなので待ち時間を辛抱させるにの一苦労だった。

義理の父親が先に終わって送り届けてまた病院に戻り、診察が複数にまたがる科のため時間がかかった両親を家に送ると夕方。

家に帰って慌てて夕飯準備に取り掛かるような風でいつも焦っていた気がする。

考えてみると車の運転は好きではないが、送迎のために今も昔も車に乗らない日は殆どない。

いつか免許証を返納する時が来るけれど車が私のマイホームでもあって、一番私の気持ちを分かっている。

そう思うと運転せずとも車を残しておきたいくらいだ。

ブログの世界

世の中には色んな環境、経験をした人が溢れていて、今の時代、小説だけじゃなくブログを放浪していたら思わぬ名作に出会う。

それは介護の分野だったり、いじめにあった過去だったりブログだとフィクションでは恐らくないから過去まで遡って読んでしまってもう読書と一緒といっていい。

もし作られたものならそれも凄い才能だとは思うけど。

Mさんの場合はご自身の手術のあと、メンタルをやられてしまい心療内科のお薬も処方されたようだし、術後の経過もいまいちで通院中のようだ。

病院を無事に退院してもその日からご主人の食事の支度をこなし、両方の親に頼られてこれじゃゆっくり休むことも出来ない。

目に見えない病状や心理面の辛さを伝えるのはとても難しいことだと思うし、一番身近な人にすら理解してもらえないと諦めるしかない。

結局は自分の辛さが一大事であって、あてにする人間の体調は知ったことではないということだ。

Mさんにとってブログで綴ることは一種のカミングアウトになっているのかもしれない。

自分の心の内を文字にすることが長けている人だからこそ気持ちを上手く表現出来るのだろう。

ブログでこれだけ読む者を惹きつける人だというのに、Mさんの日常は聞く耳を持たず自己主張ばかりする人たちに囲まれているのだと想像する。

Mさんが心の病を表現している様子に失礼ながら学んでいる自分だ。

ネットサーフィンという言葉があるし自分もネットを見ているけれど、ブログはまた違っていてその人独自の世界を見ることが出来る。

読んでいるうちに自分自身の過去まで引っ張り出して悔やんでみたり、思い出してしまって自分に同情したりすることがある。

家にいながら色んな世界が見られるなんて画期的な世の中になったものだ。

ただ気をつけたいのはブログを読んで自分と比べないこと、人は人で自分と比べてどうだとか思うのは失礼だから。

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