今日はまだ暖かい朝だったけれど予報を見ると週末からは最低気温がマイナスになりそうだ。
そろそろ電気毛布を準備した方がいいかと考える。
夫は電気毛布は嫌いなので使わないが息子と自分は電気毛布が頼りだ。
電気毛布の敷布の方を使っているが、電気掛け毛布というのもある。
掛け毛布というのは子供の頃から使ったことはないが、使い勝手がどうなんだろうとふと思った。
冬の寒さはある地方だけど電気毛布について人と語ったことはない気がする。
ネットで見てみると掛け敷き両用タイプの電気毛布もあるらしい。
でも敷毛布一辺倒でこの年まで過ごしてきたから、電気敷き毛布がないと冬の寒さは克服出来ない。
でも掛け毛布というのも体の一部を温めるには都合がいいらしいから、座った時の足元を温めたりするのに一考してもいいかもしれない。
昨日雨が降ったからか今日は風が強いようだ。
ウォーキング
実際に歩いてみると風は強いけれどまだ頬を切るような冷たさはない。
帽子はかなり強風の中なのでさすがに今日は用をなさないが。
念のためにレッグウォーマーとお腹にはホッカイロをつけて来たけれど寒さは感じない。
本当に今年の秋は暖かいと実感する。
でも必ず冬もやって来るから、今のこの時を味わって歩きたい。
歩きながらそう言えば昨日は火曜日だったのに楽しみにしているYouTube「坂上家のチャンネル」を見ていなかったことを思い出した。
10日にスマホの機種変更を控えていて移行手続きをショップでお願いするつもりと言いながらもネットで調べたりしていた。
読みかけの本の先行きも気になるし、けれどしっかり睡眠も取りたいしで何もかも中途半端でそれでも時間は過ぎていく。
自分よりも忙しい人が殆んどの世の中、皆どうやって日々の時間を過ごしているんだろう。
そんなことを考えながらも歩く時間は何とか確保している。
途中で用事を足さなきゃならなくなって河川敷は早々に引き上げることになった。
後ろ髪を引かれながら、用事を足し終えた後階段を使ったり買い物などでギリギリ5000歩を越えた。
松下幸之助さんの言葉
これを口ずさめば過去のイヤな記憶が和らぐ…経営の神様・松下幸之助が残した”14文字の言葉”
松下幸之助「過去がつらかったから今がラク」
「今つらいのは過去がラクだったからである。過去がつらいと今がラクである」と、パナソニック創業者の松下幸之助(こうのすけ)さんは言っています。
プレジデントオンライン
自分も昔よりは今が楽だと思っている。
よく”生まれ変わるなら何がいいか”という問いがあったりするが、自分は生まれ変わってもう一度人生のやり直しなどしたくないし今がいいと思っている。
人間だから不満は沢山あるし、満足することなんてこれからもないと思うが。
嫌だなと思うこともあれば小さな幸せをそこここで見つけることも出来る。
けれど子ども時代を思えばなんて自由で周りを気にせずに生きていられるかと思うと、もう前に進むだけだ。
自分が受けた虐待などのレベルがどの程度に位置するのか分からないが、今が現に自由なのだし目に見える傷跡もないのだからどうにでも繕える。
幼なじみの友人はよく「子どもの頃は良かった」とか「クリスマスやお正月が楽しかった」「冬休みが待ち遠しかった」と言い自分にも同意を求める。
そんな時に頷くことは出来るけれど本音は決して違っていてでも言えない。
クリスマスのプレゼントやお年玉なんてものは子ども時代はなかった。
4人姉妹だったから食べるだけ、食べさせるだけで親は精一杯だったのだから当然だ。
長い休みは姉にいじめられるから嫌だったし、長い休み中は外に出ていいと決められた時間帯の10時になるのが待ち遠しかった。
仲良しじゃなくても家に入れてくれる友達と呼べるには心もとない人のところにも避難していた子ども時代。
多分、姉にしても貧乏な生活の不満のはけ口が欲しかったのだと年を経てみて思えるようになった。
でも今になってみると、人の顔色を見て気を使って周りに合わせることが嫌でも出来たのは、子育ての時代に生かされたと思う。
思ったことを何でも口にするよりも心で反芻する癖がついた。
永山則夫死刑囚の本を読むと兄弟からのいじめに関してはどこか似通った気持ちになる。
子ども時代の環境がいかに大切だったかと思うし、彼ももう少し早く本と出会っていたら劇的に違っていたんじゃないだろうか。
拘置所の中での変化が物語っているし、顔つきも逮捕された時とは別人になっていた。
“過去が辛かった”と言えるほど自分は辛かったのかは今思うとどうかなと思うけれど、いつだって嫌なことがあっても”昔よりはいい”と思えるのだから過去の経験が生きているのだと思う。
”昔よりはいい”と思えるという事は、”昔”が今の自分の原動力になっているのだろう。
そう思うと昔の辛かったことが自分を鍛えてくれたんだと思うことも出来る。
自分が人に自分の子ども時代の家庭環境を言わないのと同じように、言わないだけで大変な環境だった人だっているはず。
人によって語る人と語らない人がいるのは戦争を体験した人などでもそうだ。
語れる人と語れない人がいると思うからそれは強要出来ることではないと思う。
言論の自由はあっていいと思うが、誹謗中傷は断固として取り締まって欲しいと思う。
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