おざなりになったウォーキングと適当な洗車

ウォーキング

昨夜はポイ活に時間がかかって夜にしっかり読書は出来ずに終わった。

なのですぐに読み終えるはずの西村賢太さんの「苦役列車」はまだ読んでいる途中だ。

昨日の新聞に直木賞を受賞した河崎秋子さんが大きく載っていた。

「ともぐい」という本は是非読んでみたいと思うが、書店で品薄というからしばらくは待っていよう。

芥川賞や直木賞受賞の本はあまり読まないがそれでも河崎秋子さんは読んでみたいと思う。

立ち寄った本屋さんで偶然ご夫婦が「ともぐい」の在庫を聞いていたが、案の定在庫はなくて次の入荷が2月初めと聞こえた。

河崎秋子さんの「絞め殺しの樹」は少し前に読んでいて、自分の親の時代かそれ以前が時代背景のようで苦労を絵に描いたような苦しい話だった。

河崎秋子さんの年齢では経験もないはずのこういう話がどうして書けるのか不思議だけど、作家とはそういうものなのだろう。

直木賞の選考委員のコメントが林真理子さんだったが絶賛のコメントに早くも自分の食指が動いている。

それにしても林真理子さんはちゃんと直木賞の選考委員も続けられているし、週刊文春のエッセイも継続中。

日大のお仕事も当然頑張っているだろうし、どの程度の配分でお仕事をしているかは分からないがやることはやっていると思う。

今思い返しても林真理子さんは日大理事長としてちゃんと記者会見にも臨んで、色んな評価をされていてもこなすことはこなしている。

誰でも記者会見をすればいいというのではないけれど・・・。

松本人志さんみたいに毎日話題に上がっていても、静かにフェードアウトしていくつもりなのか何のコメントがあるでもない方もいる。

松本人志さんの騒動と日大問題の対応を比較するには内容が違い過ぎるけれど、林真理子さんの潔さはもっと評価されてもいいと思う。

ウォーキング

今日も何とかノルマは達成だが今日は今週で一番歩数少なめでサボリ気味のウォーキングとなった。

しっかり歩こうと思った矢先にいつもは列が出来ているドライブスルー洗車場を見ると車が1台待っているだけだった。

ここのドライブスルー洗車は一度しか経験がないのだが、これは車を持って来て洗車せねばと勢い勇んで車に戻った。

けれど勇んで洗車場に行ってみたらアレ?ドライブスルー洗車場はシャッターが下りている…。

訳がわからずかと言ってガソリンスタンドの人に聞く勇気もなくて、隣接するコイン洗車場で洗車している人を見てコイン洗車することに変更した。

実はコイン洗車場も慣れてはいないんたけど、500円をいれて指示に従い何とか一通り終わらせる。

洗車している途中で知ったのだが、ドライブスルー洗車のシャッターは使う時に開くものらしく1台が洗車を始めていた。

シャッターが閉じていることを知っている人は普通にやってきて洗車しているようだったが、知らない人もいるようでドライブスルー洗車を横見しながら去っていく車もあった。

ドライブスルー洗車もコイン洗車も使用経験は年に数回で殆どは家の前で手洗いするからいつまで経っても使い方に慣れないのだ。

車を洗車場から空いているスペースに移動して、タオルで拭いてみたら案の定洗い残しがあったようでタオルは結構汚れた。

もっと時間が経って車を見たらタオルでの拭き取りが弱くてうっすらと汚れたまま乾いている箇所がある。

自分の詰めの甘さがこういうところに出るなぁと思う。

でもパッと見た限りはキレイに見えるからまあいいかと自己満足。

車をキレイにしたあとは近くのスーパーで買い物兼無駄に歩き回り歩数を確保した。

そんな訳で歩数はギリギリ5000歩を超えて、いつもと違ったのは階段を登り降りしたことくらいだろうか。

取り敢えず洗車したことで何となくホッとしている。

「苦役列車」

西村賢太さんの「苦役列車」」と併録の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を読み終えた。

漢字に苦戦したことで自分の未熟さを思い知った。

りっしんべんに兼ねると書いて「慊」あきたりなと読み「慊さ」はあきたりなさとなる。

「慊」の漢字の意味は満足しないこと。

「無聊」はぶりょうといい読めなくはないが意味は心配事があって気が晴れないことだという。

西村賢太さんの「苦役列車」は、全く使ったことのない言葉が普通に使われていてそんな漢字に度々首を傾げた。

他にも記していないだけで難解な言葉が出て来たが幾つかは読み仮名が振ってあり意味を勝手に解釈して流してしまった。

変換するにも出てこないような文字が多かった。

でも私小説と言うからには西村賢太さんご自身のことが色濃く書かれているのだろう。

そもそも主人公の名前が北町貫多で西村賢太さんと酷似していて分かりやすい。

この北町貫多が度々繰り返す自身を言い表す言葉とかひねくれたものの考え方に、自分と同じものを見た気がする。

これだけダメな自身をあからさまに出来るのは凄いと思う。

普通なら黙して語らずで自分は同じような気持ちを持っているけれど、人前ではそんな素振りは見せず隠している。

西村賢太さんの生い立ちからしても恐らく歪んでひねくれるのも仕方なかったと思えるのだ。

育った環境というのは本当に大事だし、かと言って環境を選べるはずもなく色んな成育で人は出来上がってしまう。

ダメな生き方なんだろうけどそれでも生きて行かなきゃならなくて、しんどいけれどやっているんだなぁと妙に親近感を持つような不思議で魅力的な作品だった。

西村賢太さんの本はブックオフにも「苦役列車」1冊しかなかったから、それほど手に入らないかもしれないがもしまた見かけたら買ってみたい。

こういう本は嫌いじゃない。

当たり前のことだが、どんな人にも生きてきた歴史があって自分ではどうしようもないジレンマを抱えながらも生きている。

そう思うと決して自分とは相容れない人だとしても本の中では親しみを感じる。

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