ウォーキングと読書

ウォーキング

弱音を吐きたくないが今朝も寒くて顔がとにかく冷たく、頭からすっぽり布団に入るがそうすると慣れないからか落ち着かなくて熟睡した気がしない。

更には昨日飲んだ飲むヨーグルトが効き過ぎたようで、久しぶりにお腹が張って辛かった。

まぁ、そうは言ってもどこかしらで眠っているのだろうし、今日たっぷり眠ればいいことだ。

それにこれだけ寒いと軽く頭痛までしてくる。

昨日に続いて今朝も頭痛がしていたが、パジャマから着替えて動き出すと徐々に消えていく痛み。

なので頭痛薬のお世話になるまでもないけれど、真夏の酷い暑さでも冬の厳しい寒さでも頭痛もどきが起こるようだ。

世の中は頭痛もちの人はかなり多いはずだから、自分のごく稀な頭痛位どうということはないと思うのだが。

昨夜のYouTube「坂上家のチャンネル」はなんと生配信だった。

坂上忍さんは毎日定期的にブログをアップするので日に何度かチェックするのだが、夕方に生配信のお知らせをみてこれはリアルタイムで視聴しようと布団に入らず待つ。

普通は小学生でも夜8時になど布団に入らないだろうけれど。

坂上忍さんの今年のスケジュールはますます事業が拡大する。

2年続けて開催された期間限定のカフェが常設されるそうだ。

これでいつでも「さかがみ家カフェ」に行けるというもの…自分が行くかどうかはさておき。

常設されるカフェなのでスタッフさんも募集するらしく、将来正社員として採用もあるという。

それと「さかがみハウス」のモデルハウスの展示会?のご案内もあって昨日は生配信となったようだ。

坂上さんの活動はまた大幅に拡大するようで、事業の成長が著しい。

これだけ忙しくてそれでも日課の早朝散歩はこなすという堅実さ。

どうか坂上忍さんご自身の健康も大事にしてほしい。

人間ドックで再検査?があり精密検査の結果、何ともなかったと言っていた。

何かあったら全ての事が頓挫してしまう、坂上さんのことだからしっかり自己管理されているとは思うけれど。

公園内をウォーキング

今日のウォーキングも時間を遅くして11時から12時少し前にする。

朝方に軽く頭痛がしていてもこれくらいの時間になるとほぼ痛みは消えているのは、朝のうちは寒さで身体中が固まっているからなのかもしれない。

公園内に造られたスケートリンクだが平日とあって誰もいない。

土日には来ないから賑わっているのかは分からないが、この寒さが過ぎたらリンクも終わりを迎えるだろう。

リンクに人はいないけれど、散策してる人は結構いて、木の周りには今日も野鳥の撮影をする人たちが集まっている。

何かの巣でもあるのだろうか?

明日も公園内を歩けたらちょっと聞いてみたいものだ。

赤松利市さんの「犬」

赤松利市さんの本「白蟻女」のあと、同時に買った「犬」を読んでいる。

少し前に天童荒太さんの「ジェンダー・クライム」を読んだけれど、赤松利市さんの「犬」の方がよりジェンダーという言葉を実感する本だ。

赤松利市さんをこよなく尊敬するブロガーさんに刺激を受けて、「救い難き人」から数冊読みだした。

「犬」もブロガーさんは読んでいるかどうかブログ内に出ていたかは憶えていないが、赤松利市さんを尊敬するブロガーさんだから当然読んでいると思う。

自分はまず”ノンケ”という言葉に戸惑った。

聞いたことはあるが実際に使ったこともないし、分かっていなかった。

”ノンケ”は同性愛者から見た異性愛者のことだというが、隠語だから普段の生活では聞かないのだ。

でもこの話を読み進めると誰を好きになろうと、どちらの性であろうとどうでもいい気がしてくる。

主人公はトランスジェンダーでその昔自身を棄てた男が突然現れて心を揺さぶられるが、その男は主人公のお金目当てでしかなかった。

どう考えても突然現れた男は怪しい素振りなのだが見抜けない主人公。

見抜けないというか見たくないものは見ないと言った方が正しいかもしれない。

見えているのに敢えて見ないように考えないようにしている風である。

男を信じたい一心で見て見ぬふりをしてしまうその心が愚かに感じるが、そこまで信じようとする気持ちが一途で自分にはないものだ。

今は車でJUJUのCDを聴いているのだがテレサテンのカバー「時の流れに身をまかせ」などを聴いていると、全く共感できない自分がいる。

それもそうだ、多分自分の中では自分が一番大事だからこの歌詞が理解できない。

それと同じでこの「犬」のようにお金目当てでしかない男に惚れて必死に尽くす主人公の様子が愚かで、愚か過ぎて逆に潔いくらいに思えてくる。

性行為もグロいからとても食事をしながら読む気になれないのだが、痛めつけられても好きな相手のためなら満足なのか、主人公に共感はしないがこんな世界もあるのだろうと思う。

自分の住む世界から別な世界を垣間見る感じはもしかしたら、無意識に差別化しているのかもしれないとこの本を読んで感じているところだ。

人は差別していないつもりでも知らない世界や分からない世界には、視線が違ってしまうと思う。

でも自分からするとそんな世界に身を置き、世の中の酸いも甘いも知るしかなかった人生を送る主人公にどこか畏敬の念を抱いてもいる。

赤松利市さんの本は刺激的で知らない世界を覗き込む様な感覚もある。

本の世界は体験せずとも色んな人生を疑似体験した気分になれるからやめられない。

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