今朝は排便にちょっと手間がかかった。
便意は感じたのでトイレに行くが、肝心なところでもうそこまで来ているはずなのに今日は押しが足りない感じがした。
全く便意を感じない時は翌日出るだろうとすんなり諦めるのだけど今日はそれとも違った。
便が出ないとなったらあっさり諦めればいいと頭では分かっていても、あとちょっとで出る気がして少し粘ってしまう。
結局そんな時は粘ったところで出なくて、中途半端な気持ちではあるが一旦切り上げる。
出そうで出ないのは本当に何とも言えない気分だが・・・気を取り直して別な事をしている間にまたも感じる便意。
2度目のトイレで何とか排便を済ませることが出来たし、この時はいきむ事もせずにスムーズだった。
加齢と共に色んなことが少しずつ変わってくるのだと思うが、お腹を気にして飲むヨーグルトを飲めば反応し過ぎる事もある。
そんな時和田秀樹さんの話を思い出してみれば、とにかく同じものばかり食べるよりは好きなもの・色んなものを食べる方がいいらしい。
どちらかというと自分は同じようなものを食べがちかもしれない。
あまり食べるものに拘り過ぎず食べたいものを食べて行こうと思う。
今日も寒い朝ではあったけれど晴れているから恐らく日中は暖かい。
そんな訳で首の後ろにホッカイロは貼らずに出かける事にした。
ウォーキング
今日は10時半を過ぎた暖かい時間帯に公園に来てみた。
車から出ようと準備をしていたら8人くらいの女性集団が自分の車の前に通り過ぎた。
当然賑やかな会話が交わされていて、一瞬躊躇うがせっかく来たんだし時間が惜しいとばかり勢いをつけて外に出る。
同性ながら女性の集団が徒党を組んでいる姿を見ると避けたくなる。
1人でカフェに入って静かに過ごしている時に、お喋りする人たちの声にイラッとするのと同じで自分の世界に浸れないからだ。
それでも皆の公園でこの時間を選んだのは自分だし、風もなく暖かい時間に歩けるのだから良しとしなくては。
近くの学校の低学年と思われる子供たちも何組かに分かれて来ていた。
だだっ広い公園の雪の積もった場所を使って雪に埋まりながら先生の待つゴールまで競争しているようだ。
いい運動になりそうだし、子供たちも楽しそうだ。
通り過ぎる際には何人かの子供たちは「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
そんな子供たちを眺めたりしながら歩を進めて行くと、前方の木の周りに集団が出来ていてどうやらモモンガがいるらしい。
しばらく眺めていてようやく発見したモモンガだが、モモンガらしいモモンガを見たことがない自分。
モモンガは背中を向けているし、人に言われないときっと見つけても分からないだろうなと思う。
付近をカラスが飛び回ってモモンガをねらっているから動けないでいるという会話が聞こえた。
カラスはモモンガを襲うのか。
しばらく見ていたが動かない(動けない)ので、眺めるのは終わりにしてまた集団から離れて歩き出す。
ワンチャンの散歩も見かけるが今日は特に寄って来てくれそうなワンチャンは見当たらなかった。
ホッカイロは首の後ろに貼らなくて良かった、のんびり歩いたから汗はかかなかったがそれでも暖かくてもっと軽装でもいいくらいだった。
「人間標本」
湊かなえさんの「人間標本」を読み終えた。
人間を殺害して標本のように作品に仕上げるという猟奇的な殺人が題材だったが、犯人が逮捕されて当然死刑判決が下された。
けれど実際の犯人は違っていて犯行をかくまうために罪を被っている訳で、実際の犯人が二転三転して、読んでいる者も最後まで攪乱させられる感じだった。
でも今ひとつよく分からないのは芸術家を扱っているからかもしれない。
絵を描く才能に長けていて人に見えないものが見えるという、本の中ではそんな才能を”ギフト”と呼んでいた。
人の見え方が三原色だが蝶は四原色で見える?とか難しいことは分からないが、とにかく絵を描く時に見え方によって絵の出来栄えは変わってくると言っているのだろう。
絵とか踊りとか音楽とか鑑賞するものって分かる人には分かるけれど、自分には縁遠い世界と思っているから「人間標本」にしてももう話の途中から分からないという諦め半分の気持ちだった。
だから湊かなえさんの「人間標本」は自分には残念ながら分からない分野だった。
絵の才能に恵まれてはいるが決して素行は良くなかったらしい5人の少年たちが、人間標本にされてしまいその犯人は誰なのかということ。
最初は大学教授が犯人という自白めいた記録があって、それは実は息子の罪を被った行為だった。
でも実は息子は手助けをする羽目になっただけで犯罪行為は大学教授の古い友人女性の娘がやったこと。
でも娘のやった行為は大学教授の古い友人(母親)が行わせたもの、いわゆる教唆になるのだろうか。
何故そこまでして少年たちをコレクション化してしまわないといけなかったのか、芸術家の神経が分からない。
自分なら絵でも塗り絵でも黄色いものは黄色を塗るという、至って普通に過ごして来たから別な色の見方は分からない。
才能が秀でているとどこかに歪みも出るものかもしれないという感想だ、平凡で良かったと思うしかない。
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