昨日の「坂上家のチャンネル」はやはり少し前からYouTubeの視聴者さんからコメントされていたことが坂上忍さんから報告された。
甲斐犬の筑波サンタ君が1月に逝ってしまっていたそうだ。
坂上忍さんからの報告は堪えてはいても辛そうで、報告の遅れを詫びるかのようで「そんな無体な…」と思ってしまった。
大事な家族が逝ってしまって心の整理もつかない反面、日々やることに追われている坂上忍さんだと思う。
それでも定期配信されるYouTubeにサンタ君の姿が見られないことに、サンタくん推し?の視聴者さんのコメントが増していた。
サンタ君の情報が知りたいがためにコメントを重ねるのだろうけど、触れてほしくないと察することも大事かなと思う。
コメントって何でも思ったことを口に出してしまえるのが怖いところでもある気がする。
思ったことがすぐに言えることは自分にしたら凄いことに思えるのだけど…。
言いたいことが言える環境にあった人だからなのか。
自身の考えを意見出来ることは大事だと思うけれど、”知りたい”がために問い詰めるようになってもいけない。
SNSは見てほしかったり知って欲しかったりで発信するのが主だけど、今回の坂上忍さんは知らせなきゃという使命感でもっての報告だ。
いつかは悲しい報告をしなければいけなかったかもしれないが、現実に言葉にすることも避けたかっただろう。
その痛みを推し量ることは出来ない自分だが、きっと事実だけをごく短く口にしたことから見て数ヶ月経った今もご夫妻で辛い中にいると思う。
ペットロスという言葉は好きじゃない(使いたくないと言ったかも?)と言う坂上忍さんが奥様のロス状態を語っていた。
これは坂上さんご夫妻にとって余程の心労かと思う。
1月に逝ってしまったサンタ君の報告を今しなければならないくらいなのだならどれだけ言葉にするのがためらわれたか。
YouTubeで話すにはサンタ君を思わずにはいられないのだから、受け入れたくない現実が再現されることになる辛さだ。
ベットと暮らす厳しさの一面を見た思いだ。
ペットとの暮らしが心豊かになる反面失った時のダメージの大きさが辛すぎると思うと自分には到底無理だ。
松居直美さんのブログでも愛猫ハナちゃんを失った傷みは未だに続いていて朝の寝起きの涙で1日が始まるらしいから、どれだけの傷みを抱えて生きることになるのか・・・。
その傷みが癒えていい思い出に代わる日がくるのかは人によって様々なのかと思う。
今回のYouTubeにあったコメントはいつも以上に多かった。
お悔やみのコメントが大多数を占める中そこにはやはり少し質問のようなコメントがあったりして、そんなコメントにはすかさず釘を刺すような返信コメントがあった。
坂上忍さんご夫妻の心情を慮って質問者に自重を促すようなコメントだ。
サンタ君を坂上忍さんのブログやYouTubeで見るのは自分も楽しかった。
寡黙な感じで表情を変えないサンタ君。
表情を変えないが故に、少しだけ甘えが感じられる表情や優しさを讃えた目が見れた時には貴重な瞬間を発見した喜びを感じた。
坂上忍さんが渡した干物?の固そうなおやつを美味しそうに噛み砕く姿が目に浮かぶ。
そう言えばサンタ君が吠えたことはなかった気がするが、それも狩猟犬として訓練されていたからなのだろうか。
今更だけどどんな声をしていたのか。
YouTubeを遡ればサンタ君の元気だった姿が見れるから後で見に行ってみたいと思う。
きっとサンタ君を偲ぶYouTubeがそのうち編集されて見られるんじゃないかと思う。
今朝になっても坂上忍さんのブログに来ているコメントはサンタ君のお悔やみが多い。
悲しいことがあってもいつも通りのお散歩とお仕事をこなす坂上忍さんの姿は、生きることそのものを教えてくれる。
昨日は早朝から読書をしていたという坂上忍さんだが、昨日のブログの1つに「朝、読み切れなかった本?原稿の束を読み切りま~す」とあった。
これは新刊として出る本の帯に書く書評を依頼されたのかもしれない、本が出るとして情報公開でもされたら是非とも読みたい。
誰の本なのかも知らないけれど・・・。
ウォーキング
朝から快晴で仕事の息子を送迎する際に山がキレイだと話ながら出発する。
今日はいつもの河川敷に行き、山の方に向かって歩く。
沢山の人が歩いてるのを見るとやっと春を迎えた感じだ。
歩行器を押す男性と付き添う奥さんらしい2人に挨拶をすると「今日の山はキレイですね」と奥さん。
やはり皆、この山に魅せられてパワーを貰って歩いているのかもしれない。
天気が晴れの時は出かける時についつい山がキレイか確認する。
JUJUさんのCDに入ってる「魅せられて」にある”美しすぎるとこわくなる”という歌詞。
この歌詞を自分は当時、自身の美貌に酔ってるのかと思って聴いていた。
今、聴いてるとヒロインの女性が南向きの窓を開けて見ている海の色の美しさなのだと分かるが、何とも理解が乏しかったと情けなくなる。
キレイに全貌を現した時の山を見ていると、泣かないけれど涙が出そうになる時がある。
「魅せられて」の歌詞と通じるものがある気がする。
歩いているとついついどこまでも進んで行きそうな自分だったが、途中で尿意を憶えて仕方なく引き返す。
それでも今日はちょっと歩き過ぎたかもしれない。
たいていは1時間程度なら持つはずたが、尿意が丁度良いストッパーになってくれる。
車に戻ると適度な距離感で10数台の車がそこここに停めてあった。
寒い時期には車内で暖を取っている人が多かったけれど、今は無人の車が多いからウォーキングやジョギングや散歩に来ている人なのだろうと思う。
車にいる人を見ると自分のようにセカンドハウスとして居場所にしているのかなと思ってしまう。
公園の駐車場では結構車内で過ごす人を多く見かける。
大事な車を今日は午後から手洗いし黄砂汚れを落としてホッとした。
でも今、このパソコンを開いていたら天気の情報が出て明日は弱い雨となっている・・・少し、いやだいぶがっかりだ。
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