昨日は夜も涼しくて扇風機もアイスノンも要らなかった。
一昨日がどちらも使って、それでなお暑かったから随分と差があるけれど有難かった。
有難いと言えば、ランチ会で会う友人が自家製の梅シロップを届けてくれた。
何でも梅を沢山貰ったそうで、ランチ会の時にも梅シロップ入りのパウンドケーキを作って持って来てくれたのだが、それがとても美味しかった。
梅シロップの入ったパウンドケーキは暑い夏にピッタリの酸味が効いた美味しさだった。
酢と氷砂糖とで作ったらしいが、梅干しだって買うと高いし、梅干し代わりに梅シロップを炭酸水で割って飲んだら夏バテ予防になりそうだ。
今日も30度までにはならないらしいけれど、また気温が上がる時もあると思うのでこの梅シロップは活躍してくれそうだ。
梅シロップはかなり美味しくて考えるだけですぐに飲みたくなるというか、梅干しとかみかんは想像するだけで唾液がたまるのと同じ効果が梅シロップにもあるみたいだ。
梅シロップがあるうちは、しばらく炭酸水は切らさないでおこう。
ウォーキング
最近にしては涼しいから今日は久しぶりに歩いて買い物に行って来た。
確かに気温はそう高くないがやっぱり歩くと暑くて汗をかいた。
歩いた距離はさほどじゃないが使っていないと足もすぐに衰えるみたいで疲れを感じた。
普段からそれ程歩くのは早くないところに来て、暑いからゆっくり足を運ぶことになるから短い距離なのに余計長く歩いた気になる。
結構長く歩いた時でもそれ程疲れを感じない時があるのに対して、今日みたいにペースはゆっくりでも歩き方が悪いと疲れてしまうようだ。
もう少ししたらもっと頻繫に歩けるようになるだろうか。
「そして、海の泡になる」
葉真中顕さんの本「そして、海の泡になる」を読み終えた。
主人公の女性が投資家として大成功したのちバブル崩壊で凋落の一途をたどり、殺人で刑務所に服役中に亡くなった。
そんな女性の生涯、特に投資家として世間で名を馳せた時期に関わった人たちの証言で構成された話だった。
刑務所で病気になった主人公をお世話した同じ房の女性が主人公から聞き取った話と、彼女の人生に関わった人たちに取材した証言を集める。
だから主人公は殆ど証言者の語りの中に登場するだけで、全てが周りの人たちと同房でお世話をした女性を通して語られるに過ぎない。
昭和8年生まれの主人公とあって、自分の母親と1歳しか違わないから母の年代を思い浮かべて読んでいた。
戦後の辛い時期があってその苦境から立ち上がって高見へのし上がった女性だったが、彼女の周りでは不審な死を遂げる男性たちもいた。
あとがきを読むまで知らなかったが、この話は実際にいた”尾上縫(おのうえぬい)”という女性投資家がモデルになっている。
確かに”尾上縫”という名前だけは聞いたことがある。
バブル期、北浜で天才と呼ばれた投資家 その正体は稀代の借金女王 尾上縫
Yahoo!JAPANニュースより
尾上縫という人物も料亭の女将であり占いとか神のお告げで投資するという、そういった設定は「そして、海の泡になる」の主人公のモデルであるから同じだ。
尾上縫という人は本当に霊感があったらしいと記録されているが、そんな人が実際にいるんだろうか。
この小説では一見何も分からないおばさんである主人公が、実際には勉強して株に精通するようになったと描かれている。
けれど主人公の女性はその培った知識をあからさまにすることなく、敢えて神のお告げと称して自身の知識を隠していたようだ。
でも彼女の投資家としての資質が花開き大金を稼ぎ出すことになる。
学歴もない女将(主人公)が投機で当てるなど周りは半信半疑だったが神からのお告げと聞くと、いつしか周りの人たちすら信心するようになり、お金に群がることになる。
誰しも自身が見たいようにしか見ないということなのだと思う。
バブル時代の事らしいが、バブルと言ってもそれが自分から離れた遠いところの話みたいで実感はない。
戦後の餓えから解放された人たちが満足することなく、どんどん高見を目指して来たから今がある。
欲望にはキリがなく、個人がそれぞれの欲望を叶えるためにコンビニ・カラオケ・フィットネスクラブなどサービス業が増えて行った。
自分で稼げる女性が増えたから結婚を選ばない・子どもを産まないという生き方を選べる。
いい意味で女性は自由でわがままになった。
こんなことを「主人公が言っていた」と房でお世話をしていた女性が聞いた話として出て来るのだが、それも果たしてどこまで真実として話しているかは分からない。
見る人によってというか見た人の思いで見るから、主人公は見た人の感じ方によって変わる。
主人公自体が自身を知ってもらうつもりもなくある意味仮面を被っていたところがある。
学歴が低い主人公だが経済や経営を人知れず学び投資を始めたにも関わらず、自身の力ではなく神様の力と周りに思わせていたのだから。
真実はあるはずだが真実を知ること語ることなく、この小説では主人公が亡くなってしまった。
誰もが真実を語るのではない、”すべての人と完全に共有できる真実なんてこの世にない”と自分も思う。
人の数だけ見方があるように、この本の捉え方もそれぞれだ。
出て来る証言者の数だけ主人公の見え方があり、そして自分の捉え方がある。
「そして、海の泡になる」は面白かったが、本当のところ主人公の気持ちはわからないままでそれこそ泡のように消え去ったという感じだ。
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