今朝は早朝から仕事の息子を送って来た。
出かけに外に出たら雪が少しだけ積もっていたので、車の雪だけ払って出てきた。
その後息子を送ってコンビニに朝食を買いに行き、車に戻った頃には雪が降り出し本格的な降り方になった。
雪が降る中での運転は久しぶりだ。
あの大雪にしても寝てる間の出来事だった。
これじゃ歩けないかな、でもそんな時のために文庫本を1冊持って来た。
ウォーキング
かなりしっかり降り始めた雪で今朝は歩くのを諦めかけた。
けれどそんな雪も数十分程度で止んだので、早速歩くことにした。
歩ける場所が限られるので気は進まないが今日も公園に来た。
降った雪は数センチで靴の中にまでは入らないが、靴の周りに雪が着く。
ただ新たに雪が積もると、その雪の下がどうなのか怪しくて気を使って歩く事になる。
単に地面が底にあるのか、凍っているのかがわからないから、慎重に歩く。
今朝は気温が高いようで、辺りは霧がかかっている。
幻想的じゃなく、煙っているような風景だ。
今日も数匹、リスが煩わしく寄ってくるが大きく手を振って無視しながら歩いた。
もうここのリスも可愛いだけしゃなくなって、それはリスのせいじゃないけれど残念だ。
雪が溶けたら知らない道や河川敷を歩きたいものだ。

歩き終えて場所を移動するのに車を走らせたところ、朝の雪は既に溶け始めていた。
けれど、風が吹いて来たから思ったより外は寒そうだ。
息子を迎えに行く時間になるとまた雪は降り出して、次第に吹雪模様になって来た。
ついさっきまで太陽が出ていたと思ったのに、たちまち辺りは白くなってホワイトアウトとまでは行かないがライトを点けて走る車が増えた。
目まぐるしく変わる天気だが雪は溶けているから、明日の送迎に支障はないだろう。
朝早いと困ること
息子の送迎で朝が早いと、困るのは何と言っても排便のタイミングだ。
朝早く起きるのは何のことはないけれど、朝食を摂らずに送るから当然排便は出掛ける時に催さないことが多い。
ごくたまに朝の水分補給だけで排便を済ませることもあるが稀である。
そして早朝だからこそ自分の食べたいものをコンビニで調達して、車の中で食べるのは楽しみでもある。
本当にこればっかりはタイミングで無理に押し出すことも出来ないから、運を天に任せるしかないのだが自分なりに便意がないと焦るものだ。
普段から自分のことはあまり言わないしまして排便のことなど決して人には言えない。
便秘体質でもないのだろうけど、拘りがあって排便に対して神経質なんだと思う。
数日前には出る寸前で止まっていた時もあり何とか無事に解決したが、いきまずに出た時には有難く幸せに思う。
自分の幸せは至って単純で布団に入った時と排便がスムーズに済んだ時が幸せと言える。
災害などがあればそう言った幸せは突然に崩れることになる。
今が当たり前とは限らないわけで、いつ何が起こるのか分からない。
今はない九龍城塞には排泄設備はなくて垂れ流し状態だったという。
何故か魅かれるものがある九龍城塞だけど、不衛生さを考えると現実に探訪など出来たものじゃなかっただろう。
そういう現実に体験は無理な場所を仮想空間で体験出来るのがメタバースというものなのだろうか。
よく見てる
友人から「さっき、○○通りを走っていたね、すれ違ったよ」とラインが来た。
公園を歩いた後で、車で走っていた時に通った道路ですれ違ったらしいのだ。
よく見ているんだなぁと友人に感心した。
今日は雪が少し降ったので、無闇に歩き回るのは危険だと思って公園内を歩いただけだった。
でも息子が早朝から仕事の時は、雪道が危なくない限り色んな道を歩き回ることが多い。
そうやって彷徨うかのように歩いていて、引っ越してから訪ねたことはないその友人の家を偶然にも見つけたばかりだ。
その友人は運転中に「すれ違った」時にはラインをくれるのだが、自分は全く対向車を見ていないようで気づいたことはない。
止まっている車なら別だが、走っている時に気付くのが凄いと思う。
友人は動体視力というのが優れているのだろうか・・・。
運転中はあちこちを見ているのは誰しもだと思うが、果たして自分はちゃんと回りを見ているんだろうかとちょっと不安になる。
人の顔はまず見ていないというか見られない。
それは歩いていて挨拶はしても相手の顔までは見ないのと同じだ。
友人は自分の特徴のない車でも自分だと気づいたということは、顔を見ているということだ。
自分がどんな顔をして運転しているか分からないが、車は第二の家とも言えるから・・・いや自分にとって第一の家かもしれない。
息子を乗せている時は話しながらの時もあるしそれなりに気も使うが、1人で乗っている時は本性のまま運転しているのだろう。
割と気心が知れている友人なのでネガティブな自分も分かっていると思う。
今度会った時、どんな顔でいたか聞いてみよう。
マスクをしているのだから特にどんな顔ということもないだろうけれど。
サブスクリプション
サブスクと呼ばれるものと自分は無縁に思っていたが、今はこのワードプレスもサブスクだし後はアマゾンプライムも動画配信で使っているからサブスクらしい。
母が亡くなり、「サブスクの解約」に手間取っています。契約者が「亡くなった」場合でも、解約できないと料金を支払い続ける必要があるのでしょうか?
解約手続きがされなければ、契約者の死亡後も料金が請求され続ける可能性があります
契約を停止するには、相続人などが代わりに解約手続きを行う必要があります。契約者が亡くなれば自然に解約されると思い込んでいると、気づかないうちに不要な支払いが続くことになりかねません。
ファイナンシャルフィールド
いつか自分の手で解約しておかなきゃとは思っているが、まだとどまっている。
今年いっぱいは何とか続けようか、年末に年払い引き落とししていたと記憶しているのはワードプレスだ。
こういったものをそのままにして亡くなると、凄く面倒をかけることになる。
自分も親の手続きで面倒な思いをしたが、クレジットカードなどは持たない人たちだったから今よりはまだ楽だったのかもしれない。
止める時期をいつにするかが問題で、また脳梗塞にでもなって記憶が飛んでしまったらなにひとつ片付けられないことにもなりかねない。
亡くなった方のサブスク契約は、引き落とし先の口座やクレジットカードが凍結されることで支払いが停止し、結果的に契約が破棄されるケースが多いようです。
(ファイナンシャルフィールドより)
救いはあるようだがそれでも解約手続きを放置したことで延滞金や損害金の請求を受けることがあるというから、やはり自分が正常なうちに解約するのが良さそうだ。
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