今日も日中は気温が上がるようだ。
昨日応援するブロガーさんのブログを見ると東日本大震災の寄付に触れていた。
ヤフーで「3・11」で検索すると自動的に10円が寄付されることを知って早速検索をした。
去年も教えてもらってからやった気がする。
このブロガーさんの文章は素直でさりげない優しさがにじみ出ている感じがして、応援するのが当然という気持ちが湧いてくる。
苦労しないに越したことはないのだが、若い時にした苦労が今の彼女を作ったのだと思う。
フォロワーが多いのはそんな優しさに共感する人たちなんだと思う。
ヤフーかLINEで「3.11」検索→被災地に10円寄付 今年も実施へ
LINEヤフーは、3月11日に「Yahoo! 検索」や「LINE」で「3.11」と検索したユーザーひとりにつき10円を、同社から東日本大震災と能登半島地震・豪雨の被災地支援に取り組む団体に寄付する取り組み「3.11 検索は、チカラになる。」を行う。
YAHOO!JAPANニュース
社会貢献とかボランティアという名目が何となく好きじゃない自分だ。
でもこのブロガーさんは日々の苦労を視点を変えて”徳を積んでいると思いたい”と言う。
若い彼女から今の自分は随分学んでいると思うし、考え方に関心する。
今日もウォーキング
今日はダメ元で河川敷に行ってみる。
大半は別の方の河川敷に行くことが多いけれど、今日向かうのはパークゴルフ場のある河川敷だ。
右側に行こうか、それとも左側に行こうかと暫し考える。

右側を見ると何と雪がなくキレイに道が伸びている。
子供の頃からへそ曲がりと言われている自分は左に向かって進んでみた。
一度土手を下り再び土手に登ってみて眺めた左側の光景は遥か彼方まで一面が雪原だった。
足跡の道があるけれどこれを辿るのは、ある意味ツイスター(ゲームの)みたいな感じだろうか。
足跡がない雪面を少し歩いてみたが、割と硬めで数歩進んだら埋まりはしなかった。
でも埋まらない保証はなく、それは賭けみたいなもので、ある場所では底が抜けたように埋まるかもしれない。
エレベーターが落下する怖い夢を見ることがある。
足を挫いたことはないが、この景色を見たら歩く前から気持はしっかり挫けている…そんな感じだ。
ここはあっさり退却した方が無難だと思い、すぐさま住宅沿いの舗装の歩道が出ている方向に向かった。
後は雪のない歩道をすいすいと歩く。
2カ所程、一面が氷でツルツルの路面があって、完璧なスケートリンクだなと思わず呟いた。
今シーズンはスケートリンクすら出来なくてスケートの授業がままならなかった小学校(中学校も)。
自分が小学生だったら大喜びしただろう。
でも考えてみると今シーズンのウォーキングは、自分を甘やかしすぎで足を鍛えるまでにならなかったように思う。
凍ってガタガタの道に例年辟易していたものだが、そんな危険な道を歩いたのはごくまれだった。
温暖化の影響なのか気温が高めに推移して、それは灯油代の節約にもなって有り難い限りだ。
でも大きく考えると地球規模で何かが起こるのだろうか…。
また立ち読み
歩き終えていよいよ尿意を耐えきれず本屋さんでトイレを拝借した。
週刊誌の立ち読みも例によってというか目にすると見ないではいられず、週刊文春と週刊新潮をさらっと読んだ。
林真理子さんのエッセイのタイトルは「7月」がどうとか書いてあったがしっかり憶えていない。
でも内容はというと巷で騒がれている今年7月に起こる”何か”についてだった。
東日本大震災を予知した人が話している予言によると7月に起こると言われている”何か”。
林真理子さんがたまたまお会いした占い師さんによると、7月の何かという予言は当てにならないらしい。
用心するに越したことはないみたいな話?だった。
けれど林真理子さんは、思いあぐねてみても仕方なく前向きに生きようみたいなポジティブさで終わっていたと思う。
本当にその通りで自分もそんな話を知っても打つ手がないなら、腹をくくるしかないと思うし考えるだけ無駄な気がする。
後がないならやりたいことをやろうという気持ちもないし、食べたいものとかもない。
ただ災害とか突発的な事態になった時、発達障害のある息子がどうなるかが心配なだけだ。
数年前に北海道で起きたブラックアウトは、パニックにはならなかったけれどその時感じたのは表に出ずとも内面にダメージを受けていると感じたものだ。
子供の時には多動でも大きくなるとなくなるとよく言われるが、それは多動が消えるんじゃなくて別の症状に変わるのだと思う。
見た目は分からないのだし、誰かに分かってもらうのも無理な話だがせめて自分は親として理解しておくのが責務だと思う。
午前中に読んだ週刊誌の記憶がもうすでにおぼろげな午後だ。
週刊新潮も当然読むには読んだが上っ面だけを読んだ感じが否めない。
坂上忍さんのコラムは、生島ヒロシさんのパワハラ問題に関するものだった。
番組での共演経験の印象だけでは推し量れないと断っての意見だった。
坂上忍さんがMCの番組だと演者は家に来るお客になるわけだから、だから本質が見えにくいということらしい。
それと年齢が行くと注意されることもなくなる。
だから坂上忍さんもご自身に置き換えて、スタッフさんとの間で譲れるところ譲れないところの難しさを語っていた(と思う)。
でも坂上忍さんは昭和世代だから、いまの風潮とギリギリのところでやっていくみたいな感じに受け取った。
坂上忍さんはそれでいいと自分も思う・・・自分が上からの目線で言うのもおかしなものだが。
週刊誌を急いで立ち読みしてトイレを拝借し気持ちも穏やかになり、本の1冊でも買おうかとつらつらと見て回る。
服や食材を買うのにためらいはなくサッサと済ませるのに、いざ本を選ぶ時はやたら時間がかかる。
結局これという本を見つけられず、息子の皮膚科の予約をする時間が近づき本屋を後にした。
今日も仕事帰りの息子を連れて足の爪の腫れた部分に液体窒素の治療をするのだ。
変化が現れる時が来るのか治る時は来るのか、取り敢えず行けるだけ行くしかない。
コメント