今朝はパッとしない天気、昨日の雨よりはいいけれどいつ雨が降り出してもおかしくないような空模様だ。
強風は過ぎ去ったようだから雨が降る前に歩いて用事を足したいと思う。
昨日は午後からの強風に襲われながらも、山が微かに見えて来て元気を貰った気でいたけれど今日はきっと山は全く姿を隠していると思う。
山の姿に元気をもらうのではなくて、自分の足でしっかり歩かないとと思う。
森林火災が今度は瀬戸内の方で起きている。
どうしてこうも続くのか、地球温暖化と関係があるのか知らないが自然が織りなすことは人間がどこまで手が施せるのか。
中国では雨を降らせる方法を開発したようなことを聞いたことがあるが、日本ではどうなのかとにかく雨が降って欲しいものだ。
山林火災の背景に瀬戸内海沿岸の「真砂土」土壌 森林大きく育たず地面に太陽エネルギー 枯れ葉の乾燥で火災リスク高まる 専門家が指摘
岡山県南部の山林火災も、延焼が続いていて鎮圧の目途は立っていません。焼損面積は500ヘクタールを超えていて、岡山県では過去最大規模の被害になる見通しです。昨夜から、岡山市南区と玉野市の一部の地域およそ1100世帯に避難指示が出ています。
RCC中国放送
昨日のランチ会の話はあまり記憶に残っていないのは毎度の事だ。
唯一、「○○な人」と自身を称する言葉にだけ内心好きじゃない言い方だと反応したものだ。
どうして人は「私って○○な人」と平気で言えるのかと思うけれど、今や多くの人がそんな言葉遣いをするから下手に苦手意識を吐露するものじゃない。
苦手意識を吐露しないように気を付けてはいるが、それでも嫌な言い方だとは常々思う。
そしてそんな言い方をする人までも嫌いにはならないように気を付けてはいるけれど、その言葉を聞いた途端に自分の中では線引きが出来てしまう。
お付き合いは自分みたいな狭い世界で生きる人間にも必要だ。
だから最低限はこなすつもりだけど、ますます人を敬遠しがちになっているのは否めないなと思う。
そんな自分の心の内が読まれないだけ有り難いと思うべきだろう。
ウォーキング
息子を送った後、いろいろと用事を足して歩く。
少しばかり寒い感じもするが歩く道に雪がなくなって、気分的にはどこまでも歩いて行けそうだ。
どこかに行かなくても道はあらゆるところにあるから、車にさえ気をつければ何も河川敷まで行かなくてもいいのだ。
そうは言ってもあの何もない空間は魅力的だ。
何もないというのは間違いで、河川敷には野球のグラウンドやサッカー・ラグビーのコートもあるのだが、練習とか試合がない時の静けさの中で空間を歩く時は贅沢な時間だと感じる。
何より1人で歩いているとその時だけかもしれないが心が優しくなるように感じる。
寛容になるというのだろうか、肩の懲りがほぐれるように気持ちが柔らかくなると言ったらいいだろうか。
こだわっていたことが何てちっぽけな考えだったんだろうと思ったりする。
そしてまたいつもの生活に戻っては小さな拘りが積み重なって行くのだが、それを歩くことで帳消しにしての繰り返しをしているみたいに思う。
人と話しながらのウォーキングが推奨されがちだけど、自分は自分を立て直すためには1人で歩くのが絶対いいと思う。
ちょこちょこと用事を足してスマホの歩数を確認したら9000歩を超えていた。
この調子で明日も歩けたら歩きたいものだ。
強風の被害
昨日の午後からの強風は体感した自分もちょっと怖い気がした。
何かが飛んできてもおかしくないくらいで、ランチ会の後自分は歩いて少し離れたスーパーの駐車場においた車に戻る道すがら無謀だったかなと思った。
今朝、幼なじみの友人から来たラインでは、昨日の強風で友人は買い物で止めた車に隣の車のドアがぶつかりドアミラーに傷がついたそうだ。
相手側はご夫婦で来ていたらしく助手席側のドアを開けた男性が強風にあおられたようで「バーン」と音がしたそうだ。
友人はその車を追いかけた(徒歩?)そうだが「ダメたった」という。
強風の時にはありそうな話しで自分も両側に車がないとか、距離を充分取って駐車するし息子にもドアを開ける時には一声かけて気を付ける。
けれど友人みたいに相手側からの行為もあるものだ。
ミラーの損害は相当なのか?お金がかかるのだろうか。
自分の車は中古車だし自分名義で支払いも済ませているから、何ら文句は言われない。
実際に自分も昔(と言っても今も乗っている車)、強風に煽られて隣の車のドアが自分のドアにぶつかったことがあったけれど相手は「それがどうした」という顔つきで堂々と去ったものだ。
強面の女性だったが、車が凹んだでもないしぶつかった傷はついたが所詮中古車だ。
ぶつけた相手の態度にはむかついたけれどそれ以上は特に何も思わなかった。
同乗していた息子にああいう態度はダメだねくらいは話していた記憶があるくらいだ。
友人のラインでは車が傷ついて車に悪いという思いと、ご主人に土下座して謝罪すると言っていることが不可思議だった。
昨日のドアミラーの被害はまだご主人に伝えていないのか、それにしても土下座とは随分大仰な気がした。
ラインは感情があふれ出していて、「傷つけたことを車に謝らなければいけない」とか「車がかわいそう」は2回も繰り返し綴られていた。
普段から友人ご夫婦は仲が良い印象でむしろおしどり夫婦じゃないかと思うくらいで、友人のお母さんへの配慮もあるご主人だ。
元々自分にくれるラインは感情が出ているものが多いけれど、これはどう解釈するといいんだろうと考える。
ご主人に土下座するくらい謝罪の姿勢を見せることで、それほど大した怒りを買わずに穏便に終わることを願っているのか。
最大の心配をすることでそこまで至らないように自身を防御しているのか。
元々穏やかなご主人の筈で怒ることがないと聞いていたけれど、もしかしたら車に関しては違うのかもしれない。
男性で車が好きな人なら車がどうかしたら一大事かもしれないが、ご主人もそうなのだろうか。
どういう言葉で友人を励ますべきか考えているが、以外ともう立ち直っているかもしれない。
こちらが心配した割にはどうってことなかったりするものだ。
仕事終わりの息子がブックオフに行きたいと言うので、自分も本を物色して欲しかった林真理子さんの「ミカドの淑女」を買った。
「淑女」と書いてこの本の場合は「おんな」と読むようだ。
これで下田歌子さんという方を知ろうと思う。
今日は曇り空にもかかわらず意外にも山の姿が美しかった。
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