公園内をウォーキング

ウォーキング

毎週放送されるはずの「坂上どうぶつ王国」は昨日放送がなかったようだ。

そう言えば坂上忍さんのブログも「さかがみ家」のブログも「坂上どうぶつ王国」に関して何ら告知がなかった。

ティ―バーで検索しても当然出てこなかった。

楽しみが1つなくなって残念だ、ささやかな楽しみだったのに・・・。

今日はアマゾンプライムで何か映画でも検索してみようかと思う。

ウォーキング

今日は公園に行って30分ばかり歩いた。

動物園の檻が裏側から見られる。

目をやるとキツネがエサらしい魚を口に加えて、前に見た時と同様にまた時計回りに何度も回っていた。

休むことなくああして、いつも回っているのだろうか?

あのグルグル回る動作には何か意味があるのかと検索したら、Yahoo!知恵袋とこちらの回答があった。

常同行動は、飼育動物の異常行動として多くの動物種で報告されているもので、同じ行動を定型化したパターンで何度も繰り返しますが、その目的や機能ははっきりとしないものを指します。たとえば、同じ場所を行ったり来たりする常同歩行や、同じ場所で左右に揺れ続けるロッキング行動などが挙げられます。また、動物園で見かける飼育動物が同じことを繰り返してしまう行動も「常同行動」と呼ばれます。

Copilot の回答

キツネの檻の隣にも目をやるとあれはタヌキなのか、それともアライグマなのか分からないが飼育されているのを知った。

これも家に帰ってから調べてみると”えぞたぬき”を飼育しているようだ。

そんな二匹の動物をしばらく見入っていて、目的のウォーキングは少しおざなりになってしまった。

今日は多少風はあるものの、帽子が飛ばされることもなく寒くもなかった。

自分の体が冷えても鈍感で分からないだけかもしれないが、多分今日は冷えてはいないだろうし何より虫がいなくて快適だった。

健康寿命

平均寿命延びても「健康でない期間」長期化 “認知症対策”が健康に生きるカギか 慶應研究チーム

野村教授は、「健康でない」期間が長期化している原因のひとつは、医療の進歩により、病気になった人が亡くならなくなったためだとした上で、今後は病気になった後の治療のみならず、「どう予防するか」に注力していく必要があると指摘します。

日テレNEWS NNN

長生きなんかしたくないと思う。

「健康でない期間」が長いだけなんて生きる意味があるのか、そんなことを言うと闘病中とか闘病生活を送る人に対して暴言になってしまうが。

でもどれだけの人が長生きを望んでいるかというと、それほどじゃないと思う。

ランチ会での話でも年金の先行きの不安とか、介護中だと介護の終わりの見えなさを嘆く話しになる。

親の介護が終わりになる頃には続いて自身の健康状態の不安が出てくる。

”家族にだけは迷惑をかけたくない”というCMがあったが最近は見ないからまだいいがとても不愉快だった。

家族じゃなく他人になら迷惑をかけられるかと内心憤慨していたが、自分にだってそういう健康でない時が直に訪れる。

誰しも迷惑をかけずに生きたいだろし、起こりたくて起こる不具合はない。

分かりきっている未来をただ待つのなら、医療がなんとかしてくれないものだろうか。

尊厳死は認められていないのだろうが、無理に命を伸ばすのじゃなく発達した医療で苦しまずに過ごせて終わりまで行けるようになるといいのに。

映画「プラン75」は暗い映画だったけど、自分にとっては人生の終わりに明るい未来を感じて自分も是非とも75才になったら希望して人生を終わりにしたいと思ったものだ。

自分の場合は死ぬのが怖いとか嫌というよりは、苦しみたくないの一点で映画のように眠りながら終われるなんて最高じゃないかと思ったのだ。

映画では亡くなったあとはゴミのように廃棄業者が処分するみたいだったが、それも良いとすら自分は考える。

宗教とかスピリチュアルの考えがないから、死後どうなろうときちんと処分されるならいいんじゃないかと思う。

でも現実では日本においてこんな政策は有り得ないのだろう。

せめてこの映画でこんな受け止め方をした自分の心を探ってみたい。

両親が亡くなった時々で悲しいと感じなかったし、ロスと言われる症状も全くなかった。

自分以外の姉妹はそれぞれに感じた悲しみはあって、涙していたり多少の感情の吐露を見た。

亡くなることは喪失だけど喪失感というのが自分には無いか弱いと思う。

泣き崩れることは有り得ないし、亡くなった人に言葉をかけるとすれば人生を終えてお疲れ様ですという言葉だ。

そして誰かが亡くなっても毎日は当たり前に過ぎるし、そうするといつのまにか残された人はその環境に順応していく。

その人がいなくなったからなにかが止まってしまうということは滅多になく、大抵は何とかなるのが世の中だ。

普段から発達障害を持つ下の息子を心配はしているが、自分がいることで逆に彼の成長に歯止めがかかっていることもあると思っている。

生きている間は息子の世話に明け暮れているだろうけど、俯瞰するとある意味自分が妨げになる存在でもあるのだ。

その点「プラン75」のような制度があればカウントダウンになって、息子に対して自分は申し送りみたいなことが出来そうに思う。

ただ自分は経験したことがないけれどペットロスというのがある。

これはもしかすると自分もペットと暮らすことがあったなら、ペットロスになったかもしれないと思う。

素直に甘えてくれるペットとなら、自分も心を開いて気持ちの交流が出来たかもしれないと思うからだ。

現実的にペットロスは経験せずに終わるけれど。

本や映画から吸収する物が少ないのは読んで心まで届かないからで、多分自分の気持ちに大きな影響がないまま活字が横切っているのだろう。

それは感受性という言葉に置き換えるとしたら、感受性が低いから感動も少ないのだと思う。

子どもの頃から感情を抑えることが知らず知らずのうちに訓練されたからだと考える。

幼なじみの友人と行くカラオケで友人が採点機能を入れるのだが、自分が歌うと音程は正確らしい。

でも友人たちのような感情表現とか気持ちを歌にぶつけるような表現力は、自分には真似できないものだ。

楽しいこともどこか醒めているのを分かっていて、楽しめているのか疑問に思いながら過ごす。

生きているうちは元気でいなきゃならないと思って、なるべく元気なまま終わるために過ごしているが今や認知症が主な死因の1位になった。

つい最近も誤嚥性肺炎でランチ会の友人のお父さんが入退院したものだが、誤嚥性肺炎も認知症がきっかけで起こるという。

幼なじみの友人の認知症のお母さんも大晦日に喉がおかしくなって救急搬送されたことも思い出した。

幸い入院にも至らずすぐに元気なお母さんに戻ったらしかったが。

自分にとっても認知症は遠い未来ではないし、返って近寄って来てやしないかと恐れているくらいだ。

ティックトックでポイ活している最中なのだが、チラ見した画面に吹いてしまった。

小学生のテスト問題だろうか・・・「しとまでやなこ」を入れ替えて正しい言葉をいれる問題だ。

解答欄には「ことしまでやな」とあった・・・関西弁だろうか。

これだから国語は正解は幾つもある気がする。

自分がやっている脳トレにも似たようなものがあるから、まだまだ頑張って続けようと思う。

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