今日もまずはウォーキング

ウォーキング

これから早朝から仕事の息子を送るところだが、今にも雨が降りそうな空模様で歩けるかは怪しい。

なので今日は読書をすることになるかもしれないと読みかけの本「春燈」を持参する。

ウォーキング

今日はとにかくまずは歩くことにして、息子を送ってから公園の駐車場に車を止めた。

折りたたみ傘を持ちあまり車から離れ過ぎないで、公園周辺を歩くことにした。

歩き始めはほほ風がなく、湿度は高いようで既に体がベタつく感じだ。

こんな時でも雨は降っていないからか朝早くから駐車場には結構車が多くて、パークゴルフや犬の散歩で来ている方々がいる。

息苦しさに途中からマスクを外し手首に巻いておく。

行きは動物園脇の道を通るが木陰も今日は意味がなく、湿った空気が身体にまとわりつくようだ。

それに声高にカラスが鳴いていて、それに呼応するかのように集まってくるカラスたちが不気味だ。

カラスは色んな鳴き方をするから、鳴き方に意味があるのかもしれないがとにかく頭上を飛び回ると糞でもかけられないか不安になる。

帰りはここを通らないでおこうと思いながら前に進む。

今日の目的地までたどり着き、Uターンして来た道とは違う道を辿り車に戻った。

雨に降られることはなく昨日よりは多く歩けたけれど、7月だしこれからも日差しがあって暑い日の方が多いはずで何日歩けるか前途多難だ。

便利な世の中

歩いていて思ったけれど…全然大したことじゃないけれど昨日の「ぽかぽか」はティーバーで見ればいいんじゃないかと。

「ぽかぽか」自体はまったく興味はないし、MCのお笑いの人たちも良さが分からない。

でも「坂上どうぶつ王国」のメンバーが出たというから、少しだけ興味がある。

考えたら今夜「坂上どうぶつ王国」があるからその番宣だったのだろう。

北海道はリアルタイムじゃ見れないけれど、ティーバーのお陰であとからみることが出来る。

こんなところは便利な世の中になったものだ。

ウォーキングを終えてから車の中で朝食をとり、「春燈」を読む。

昨日靴屋さんの友人と会って話した時に、目の見え具合が悪くなって来たと言っていたことを思い出す。

今読んでいる「春燈」は文庫本だから字も小さくて確かに読みづらい。

裸眼で至近距離で読むのが一番読みやすいけれど、時と場合によってはそうも言っていられない。

読みづらいけれど読みたいというジレンマはある。

よく図書館に置いてあるような文字が大きめの本が売っているといいけれど、厚みが増すだろうし本が売れない時代そんな面倒な本が作られるはずもない。

けれど聞く読書と言われるAudible(オーディブル)は自分にとってハードルが高い。

めまいのないメニエール病を経験したから、以来再発防止のためにもイヤホンは付けていない。

電子書籍も苦手でやっぱり本は指でページをめくって、少し戻ってみたりしながら読みたいと思う。

若い人が難なくやってのけることでも、昔からのやり方でいると新しいことに挑戦するのは難儀なものだ。

便利でもその便利にうまく乗っかることが出来ないでいる。

それに耳で聞いて理解できるのかどうか、今でも人の話は聞き逃すことが多いのに本の話がちゃんと自分の頭に入って来るかも疑問だ。

もの凄い静かな空間に1人でいるような環境じゃないと自分の場合は集中出来ない気がするし、そうすると聞きながら眠りそうな気もして来る。

いつまで本を読めるのかも分からないけれど、読める間は少しずつでも読みたいものだ。

「春燈」もいよいよ終盤に差し掛かってきた。

なのにまだ次に読むつもりの「朱夏」の上巻の準備が出来ていない。

これはまずい、今は宮尾登美子さんの作品に夢中なのでこのまま次に進みたい。

楽天市場で慌てて「朱夏」の上巻を注文したついでに、石井光太さんの「血と反抗」も一緒に注文した。

もうこれ以上カード類は増やしたくなく、出来れば解約して処分していくのがいいはずだ。

注文を確定する前に、カードを作ったりアプリをインストールする等で得られるポイントが出て来たけれど、全部無視してさっさと注文を終わらせた。

そして息子を迎えに行って帰ってティ―バーで「ぽかぽか」を確認したところ、昨日の放送はまだ見られないみたいだった。

今見られないなら忘れてしまうかもしれないけれど、それほど未練はないから忘れてしまうのがいいかもしれない。

ワイドショーみたいな番組は面白味がなく他にも何が面白いのか分からないから、余計に最近はテレビを見なくなっている。

番組が面白くないというか、自分自身がしっかり見ようという根気が無くなってきているのかもしれない。

そんな中でもNHKはCMもなくて見やすいチャンネルだと思う。

NHKの「あんぱん」の録画を見て、ティ―バーで「坂上どうぶつ王国」を見るというこの2つだけが見ているテレビ番組なのだから随分と視野も狭まって話題に乏しくなる訳だ。

そんな自覚があるなか先月は休みだったランチ会が今月はあるようだ。

何とか他の人たちの話題を共有出来るといいのだけれどあまり自信はない。

雨が強く降ったかと思ったら今は止んでいる。

すぐ上の姉からもらったカタログギフトで頼んだ米が、今日の午後に届いた。

備蓄米が次に手に入るかは分からないから、届いた米でしばらくは凌ぎたいものだ。

米を買うだけで他の食品が買えないくらいの出費だから、もらった米があれば本当に助かる。

これからの時代で物が手に入らなくなったら、配給という時代に逆戻りするなんてことがあるのだろうか。

読んでいる「春燈」ではそんな配給の時代になっていて、終戦間際の本土決戦が近づいている。

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