ウォーキングと体育の授業

ウォーキング

今朝は車の窓の凍り具合からすると、-3℃よりはもっと寒かった気がする。

昼間は10℃になるらしいけれど。

念のためにホッカイロを貼り、暑くなって来たら剝がそうと思う。

朝のうちに歩こうと思うけれどきっと寒さはまだあると思うからコートは2つ用意する。

ウォーキング

今日は別の河川敷に向かう。

河川敷に出るまでは物凄いツルツル路面を通ってしまい、道を選ぶのに失敗してしまった。

ツルツルと滑り過ぎる路面
キレイに除雪された河川敷

けれど河川敷に来てみたら何としっかり除雪してあって当たり前のようにお散歩している人たちがいた。

期待していなかったのに・・・最初からこちらに来ていれば良かった。

帰りはツルツル路面を避けてちゃんと雪のない道路を通って帰ってきた。

歩数は7800歩位、5.2㎞とちょうどいい数字になったと思うし、気温が上がって来て少し暑くなって来たところで終わる。

来週からこちらの河川敷に来て歩くことにしよう!

体育の授業

記事にはアメリカから帰国した子供が小学校の体育で『出来ないことを皆の前でやらされる』ことにショックを受け体育が大嫌いになったとあった。

帰国子女の子どもが、小学校の体育の授業を嫌いになったという そのショックな理由に考えさせられる…

citurs

帰国子女でも何でもない自分も体育は嫌いだった。

嫌な先生に自分が出来ない無様な姿を笑われて、それだけじゃなく笑う準備をしながら「もう1回やって」と晒し者にされた記憶は今でも胸が痛む思い出だ。

沢山の屈辱感を味わったけれど、自分は家でもかなりの我慢を強いられる生活だったから堪えられたんだと思っている。

当時の先生というのは絶大な権力者であって逆らうことは許されないような風潮だった。

だから、多分色んな誤解をしてそれすら自覚しない先生が多かったんじゃないかと思う。

「先生」と名がついても所詮は人間であり、いい先生もいれば悪い先生もいるんだと今なら思う。

でも意地悪されたような記憶でも自分の人生の一部であり、いい記憶ばかりじゃ生きられないのも世の中だ。

多分嫌な思いをしたことで、人に対して嫌な思いを与えないとか我慢強くはなっていった。

辛い経験の方が自分の人生に生かされていると思いたい。

逆に嫌なことをした人にはその人にとっても何かが跳ね返って来ていると思う。

罪を憎んで人を憎まずじゃないが、嫌なことをする人自体どこか病んでいるのだろう。

時々昔の記憶が蘇ってあの嫌な先生はどうしているのだろうとか思う。

全く尊敬できなかった先生に対して元気でいて欲しいなんて殊勝な気持ちはさらさらないが恨む気持ちもない。

きっと大して慕われずそれなりの人生だろうと思うだけだ。

以前にも書いたが、ブログの中でもとても酷い先生の記録を書いている方がいて、自分よりはもっと若い方だった。

時代は違っても酷い先生もいるんだなと呆れたものだ。

「先生」という言葉だけが一人歩きしている。

ガーシー議員

国会議員も「先生」と言われるが本当に先生も地に落ちたものだ。

カッコ悪いと思うガーシー氏の帰国取りやめのニュース。

何故今ガーシー氏はトルコなのか急に人助けする気になった?

しかも「陳謝の動画」というのはあまりにもふざけている。

暴露系のユーチューバーは暴露がお仕事であって国会議員のお仕事はしないということを暴露している。

それでも所属するNHK党は謝罪動画を拒否する国会に対して「国会の恥ずべき点」と批判するとは信じられない。

もともと口八丁の人たちは信用ならないと思っている。

噺家さんとかお笑い芸人さんはともかく口ばっかりの人は口約束で終わることが多い。

まぁ、夫がその代表的な例だが、とにかくお喋りするなら行動に移せ!と言いたい。

国会議員なんて所詮こんなものかと思うと他の議員さんもなってしまえばこっちのものと思ってしまう。

春には選挙もあるけれど何だかうるさく騒ぎ立てまくるだけで選挙の時だけ元気で威勢がいいものだ。

そんな声を聞くなら森で鳥の声を聞いていた方がはるかにマシな気がする。

ガーシー氏は会議で審議するまでもなく即刻「除名」でいいと思うが勿体つけて会議をするなんて時間の無駄だ。

でも情けないがこんなニュースは興味のある子供だって見る訳で、大の大人がこんなじゃ恥ずかしい事態だ。

さてとジャガイモを沢山もらったから、肉じゃがでも作るかな。

コロッケも作ろうか迷うところだ。

コロッケはお金がかからなくていいけれど、作業が面倒くさいからやる気になるまでが悩むところだ。

だんだんと意欲が衰えるのは老化の危険信号だからやっぱりコロッケを作るべきなんだ。

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