朝から曇り空で気温も上がらないようだから温かくして出掛ける。
昨日から何となく風邪気味な感じがして早めの対策に市販の風邪薬を飲んで眠った。
体調は悪くないが今日も自分にしか分からないが鼻声になっている。
お参りとウォーキング
今日は15日なので息子を送った後、神社にお参りに行く。
いつもより早い出勤だったので神社の近くの駐車場も空いていた。
お参りを済ませて河川敷に来て歩く。
寒さ対策にホッカイロとレッグウォーマーもつけて、上もそれなりに防寒対策をして来た。
ちょっと厚着し過ぎた感じで後半は暑くならないようにペースを落として歩いた。
歩き終わる頃に雨が降り出したから気温は高めなのだろう。
白鳥が羽を休めていたし、上空にも数羽が飛んでいた。
雨はすぐに止み時折晴れ間もある今日は不思議な天気だ。
雨上りにはうっすらと虹が見えた。
立ち読み
恒例となってはいけないのだが買物のついでに本屋さんで立ち読みをした。
立ち読みだけだから本を傷めないように週刊新潮は坂上忍さんのコラムのページをすぐさま開く。
今回は政治関連じゃなく大谷選手についてだった。
イチローさんとの違いとか大谷選手を分析して次のシーズンへの期待がこもっていた。
確か坂上忍さんも野球をかじっていた?はずだから野球関連に詳しいようだ。
続いて週刊文春の林真理子さんのエッセイだが、こちらもすんなりページを開くことが出来てサッサと読む。
でも自分の老眼に呆れた。
というのもエッセイのタイトルは少し大きな太字で書いてあるにも関わらず”国籍について”と読んでいた。
“国籍”がどうしたんだろうと読み進めて行った。
トランプ大統領になったことで日本が受けるであろう影響について書かれていたんだけれど、締めに日本が受ける”国難”を憂いているという内容だった。
“国籍”じゃなく”国難”だったので、ここでやっと理解出来た。
大きな文字でさえ読み間違えるなら、小説の文字も自分は間違えて読んでいるかもしれないなぁと思った。
林真理子さんは顔が広いから官僚の方の知り合いも多いみたいだ。
最近は東大を出ても官僚にはならない人たちが多いらしく、それでも優秀な人材こそ官僚になって欲しいとエッセイにはあった。
そして政治家を動かすのは官僚だと言うから、ここで森永卓郎さんの”ザイム真理教”を思い出し財務省について考えてしまう。
“ザイム真理教”の本自体は読んでいないのに。
林真理子さんは財務省の官僚の知り合いなどはいるのか、財務省についてどう思っているのだろう。
官僚となる人だって、1人1人はいい人なのかもだけど組織となったらやっぱり違うのだろうか。
エッセイの後半では菊池桃子さんのご主人について書いてあった。
菊池桃子さんの再婚相手の方はエリート官僚だそうで、そう言われたら聞いたことがあったかも程度の自分の記憶だ。
けれど林真理子さんは色んなツテで芸能関係もきっと詳しいのだと思う。
林真理子さんのエッセイで知る話題は他の女性週刊誌やネットニュースと違って読みやすい。
作家さんだからだと思うが、表現に偏見とか嫌味とかおかしな感情がなく読み手にも持たせない。
それでいて御自身の考えや気持ちはちゃんと伝えきるのだからさすがだ。
でも本当にトランプ大統領で日本はどんな責め苦を負うのだろうか、考えてもよく分からない。
林真理子さんはトランプ大統領が決まった時にそんなことを考えて眠れなかったと言っていた。
幼なじみの友人
朝のラインでまたまた怒り心頭だった友人だ。
前回の透析で上着を間違って着て先に帰ってしまった患者さんについての怒りだ。
昨日の透析では友人の上着は上着掛けにかかっていたそうだが、謝罪はなかったという。
昨日の透析は友人は4時間だった。
上着を間違った患者さんも4時間で帰りが一緒になり、その患者さんが看護師さんから「上着間違わないように」と言われていたそうだ。
友人に対して謝罪がないのはそもそも非常識だ。
それまでにも色々と不満に思うことがあったらしい友人だが、何しろ大人しくて自己主張などしない。
だから傍目から見て友人が怒ることなど想像がつかないのだと思う。
その患者さんは車椅子での移動で着換えも大変なのでそれまで友人が手伝ってあげていたらしい。
月に1度のレントゲンを撮る時もその患者さんと一緒になるそうで、友人よりも遅く来ていながら友人よりも先にレントゲンを撮るのだという。
でも今回の上着間違いで謝罪もないので、これからは挨拶も着換えの手伝いもしないと決めたそうだ。
友人の言葉だと「久々に隣の奴らより、てっぺんに来た」とあった。
認知症のお母さんの隣に住みながら何もしない弟夫婦への怒りの上を行った出来事だったということだ。
身内のいざこざも嫌だし、好きで行っている訳じゃない病院で透析仲間とはいっても気の合わない人と週に3回も一緒も嫌だろう。
本当ならもう少し自己主張出来たら下に見られることもないのだろうけれど、友人の性分だからどうしようもないのだと思う。
長い長いラインに友人の怒りが込められていて、実のところ少し引いている。
これだけ感情をストレートに表現出来るが普段の友人とのギャップがありすぎるのだ。
もし自分に友人と同じくらいに考えられることがあるとしたら、息子の高等養護学校時代の親同士の付き合い方だろうか。
同じような子を持つ親たちでありながら、全く考え方が合わなくて仲間意識が持てなかったあの3年間は他の親から自分一歩が以上引いていた。
でも1人が嫌じゃなかったし1人は望むところだったから、別に何とも思わなかった。
友人の透析はこれからもずっと続くけれど、恐らく仲間意識は必要ないはずだし友人の言う通りしっかり一線を引いて完全に無視でいいと思う。
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