雪がないだけ有り難いが出会った人との挨拶になるが、それでもかなり寒くてちゃんと冬は来るものだ。
昨日はYouTube「さかがみ家のチャンネル」を見たが漢字の「坂上家のチャンネル」かと勘違いしてしまった。
昨日は坂上忍さんが出演して推し猫の紹介をしてくれたのだ。
テレビの坂上忍さんとは別人で保護猫にデレデレで「可愛いね~」と連発していた。
どの猫も坂上忍さんにすると推しであり甲乙つけがたしというのが見て取れた。
確かに子猫じゃなくてもその子その子にしかない魅力があるんだと思う。
この子たちのために坂上忍さんはお仕事をされて、そのセカンドライフを保護活動に向けているのだろう。
尊敬せずにはいられない。
NHKスペシャル死亡退院
そして今朝は「はやく起きた朝は・・・」を録画しながら視聴は後回しにして昨日録画したNHKスペシャル「死亡退院~精神医療 闇の記録」を見た。
ちょうど「ルポ・精神病棟」を読み終わったタイミングでこの放送があるのを知って録画したものだ。
放送された問題の滝山病院という精神科病院の実態を知り、これが現代で起こっているのかと思うと愕然とした。
自分が読んだ本「ルポ・精神病棟」はかなり昔の精神病院の実態を、記者が潜入して記録したものだったが現在もあまり変わりがないなんて驚きだった。
「ルポ・精神病棟」で序盤に記者が潜入入院した病院はかなり古い病棟だったこともあったが、その印象は刑務所と何ら変わらない。
保護室と言うお仕置きの部屋みたいな部屋は刑務所にある独房を連想させる。
軽い患者が重い患者の世話をするところなんかは、刑務所でもありそうなのは「累犯障害者」でも似たような仕組みだった。
本には薬漬けの患者の死亡について書かれている箇所があるのだが、病院の副院長が変わってから大量に投与される薬が問題じゃないかと問う。
それに対してのらりくらりと取材を受ける副院長は責任逃れの答弁を繰り返す。
薬の大量投与は儲かる手だてになり、病院経営は安定したようだがこれはどうみても告発されておかしくない事態だが、病院は何故か守られている。
それは今回見たNHKスペシャルでも思うのだが、”必要悪”という存在がこういった病院を守っていると言えるのかもしれない。
家族にしても面倒を見られない、かと言って一般の病院が引き受けてくれない患者を引き受けてくれる最後の砦が悪名高き滝山病院なのだ。
当事者ではなく当事者を取り巻く世の中が、精神を患う人を隔離とか差別するからだ。
行く当てのない人たちの最後の行き場として、「滝山(病院)に行ったら最後」と他の精神科病院でも知られていたようだし事実こういった場所が受け入れるしかなかったかもしれない。
そこに行き着けば生きて出られないと知られている病院だとしても、そこしか行き場がないという現実。
でもそんな悲惨な現状でも自身の身に起きなければ所詮他人事であり、もしかしたら家族ですら見放しているかもしれないのだ。
虐待事件が発覚したからと行って引き取るとか転院がスムーズに行かない現状は、精神疾患の他に合併症で人工透析をする患者もいたりするからでもある。
死亡退院が他の病院に比べて明らかに多いという異常さにあっても、何とかして退院させたいという家族よりも厄介を抱えたくないという現実があると思う。
”必要悪”というのは良くないことではあっても、だれかにとっては有り難い場所だったという意味だ。
酷い話だと思って見ていながら自分がそうならないと、身につまされないもので結局対岸の火事だ。
自分が精神を病んでしかも合併症を発して、放送にあったような病院に罹ったとして初めて実感することで今はただ恐ろしいと眺めているだけだ。
精神科病院という他の病院とは隔絶された場所で、現状が昔とほぼ変わらない虐待の実態があったのが衝撃だった。
まさか他の病院、自分の住む地域の精神科病院もそうだとは思いたくないが背筋が凍る気がして今回の放送を見た。
でも精神科病院に限らず介護施設にしても家で面倒を見られないとか関わりたくないと言った事情で、見捨てられた人の行き場がこんなだとしたら生きる方が辛い。
生きて虐待行為を受けていながら他に助けを求める場所がなく、入院中に死亡して初めて病院を出るという”死亡退院”。
院長と言われる人のが「根本的に直すなんてとんでもない話だよ、いつか死ぬ」と笑いを含んだ口調で話す。
こんな院長の下で働く看護士たちが虐待行為を働いていた事実。
「ルポ・精神病棟」の本は文庫本で字が小さくて読むのにとても時間がかかった。
精神病棟との比較でナチスのアウシュビッツが度々登場していたが、そこには人間の尊厳が踏みにじられたという共通点があった。
やっぱり映画「プラン75」のように安心と苦痛のない死が得られるような未来がいいと思った。
15日のお参り
薄曇りの日曜日、15日なので今年最後になる神社のお参りに行って来る。
時間はそう早くなく出かけて来たが、車も混んでいなくてお参りもスムーズに終えた。
大晦日も正月も混雑する時には行きたくないから、次にお参りするのは正月明けか15日になると思う。
お参りしたからどうということはないけれど、友人の影響で昨今は神社にはせ参じることにしている。
特に変化はないけれど逆に変化がないこと、当たり前に過ごせることが大事かと思う。
自分としては平凡に何の変化もなく穏やかに過ごせたらそれでいいと思っている。
夜布団に入る時、温かい布団で眠れるのが有り難いし目覚めた時に穏やかな朝なら嬉しい。
動けなくなるまでそんな当たり前がいつもあればいいなと思う。
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