「ひろゆき」さんのYouTubeが面白くてためになる

雑記ブログ

昨日のコロナ感染者数は738人。前の日の780人をわずかに下回ったけれど果たしてこのまま下向きになってくれるかな。でも花火大会が盛況のうちに終わったからその後で感染者数がまた増えたりしないか心配だ。

実業家「ひろゆき」さん

「2ちゃんねる」創設者の西村博之さんこと「ひろゆき」さんのYouTubeのショート動画をよく見る。

「2ちゃんねる」についてはよく知らないんだけど。

フランス在住で実業家の「ひろゆき」さんがフランスのコロナ状況について言っていた。フランスもイギリス同様にコロナの規制はしていないらしい。欧米はコロナ前の生活に戻っているそうだ。

「ひろゆき」さん曰く、コロナに弱い人は既に亡くなっていて、今残っている人たちはコロナに強い人たちだと言う。だからフランスではコロナの水際対策だとかPCR検査とかもやらないんだそうだ。そう言いながらも今もフランスでは1日に何人も亡くなってはいるが・・・といつもの口調で明るく話していたがその説明が凄く分かりやすくて聞きやすい。

これまでフランスでは約30万人がコロナで亡くなっているそうで、人口6000万人の3%に当たる。確かイギリスもそれくらいの数字だった。

日本は外国に比べるとコロナによる死者は相当少ないことがわかる。今、8/14現在の死者数は34537人だった。フランスやイギリスの2倍の人口でありながら死者数は10分の1だとは。

それに海外みたいにロックダウンもしてないのに、緊急事態宣言とかが出たら真面目に取り組む国民性とかが死者数をここまで抑えているものなのか?

とにかく「ひろゆき」さんの話は政治や宗教の他にも個人からの質問に対する答えも簡潔で分かりやすいので見ていて楽しい。

男の人のお喋りは好きじゃないが、この人は声の高さも気にならず耳に心地よく響く。

でも裁判で高額の賠償金を言い渡されて逃げて時効を迎えたと笑いながら話すけれど、被害者の方にしたら怒り心頭じゃないのかな。YouTubeでの収入はある時には月額で1700万円にもなるとか普通に話すところが常人ではないんだろうな。

世の中には色んな人がいるものだ。

お喋りな人

私は殆どテレビ番組は見ないけれど、夫は夜中でもテレビの音がないと眠れないらしいくらい家にいる時にはテレビを常に付けている。

だからテレビの音は否応なしに私の耳にも入ってくる訳だが、その中でも競馬の予想をするチャンネルがあってその中で予想する人のお喋りが癇に障る。

競馬予想をするその根拠の理由を言う喋りが、熱を帯びてるのか声高にまくしたてるのに対して、被せるように反対論を言う人と言い合いのようになって画面は見ないが聞いているだけで「いい大人がもう少し落ち着けないのか」と不愉快な気持ちになる。見る人にとってはその盛り上がり具合が楽しいのかもしれないけれど私には大人げなく聞こえる。

政治討論の番組などでもよくある光景だと思う・・・最近見ないけれど。

人の話を聞くよりも自分の話を相手を遮ってでも言いたいようだが、この熱量でどれだけ思いを語っても私ならウンザリだ。

話上手と聞き上手

女性はお喋りが好きと思われがちだけど、お喋りも相手次第だ。

私は3人以上だと自分の話はなかなか出来ない。自分が話すタイミングを上手くつかめないから。

人はたいてい言いたいことがあってランチ会などでお喋りするけれど、話す人は澱みなく今までの経過を話してそれを他の人と共有する。そして「わかる~」などと自分の感想や体験などで更に話が弾む。

でも、私はその経過というものを上手く話せない。自分の話に興味、共感を持ってもらえるように話を繋ぐ自信がない。

数人が集まると話題の中に入り込んで上手く繋いだり、方向を変えたり出来る場合と声がかき消されて届かなかったりすることがある。無視されているとは思わないんだけど、インパクトの強い人の声にかき消されるのが私だ。

だから人の話を聞いているのが楽。だからといってしっかり聞いている訳でもなく周りの人たちがうるさがっていないかなとか余計なことに目移りしたり、ぼんやりとしてしまうこともある。なので聞き上手とも違う。

でも今は小さな子供がいる訳じゃないから、ママ友とかの付き合いもとっくに切れて人付き合いは少なめになっているから自分にとっては都合がいい。

基本的にお喋りは苦手、心のうちを上手く話すには2人程度じゃないと難しいしそれすら話すよりも聞いているほうが良かったりするから、結局日記アプリにその日思った事を書き連ねている日々だ。プラス最近はこのブログ。

気の合う人

同じ悩みを抱えているからより親しくなったり気の合う友人になれるかと言えばそうじゃない。

息子が特別支援の学校に通っている時、その時々の付き合いはあったけれど表面だけは合わせられてもちょっと引いてしまう人が多かった。

特別な支援が必要でこの学校を選んだにのも関わらず、我が子はこんな学校に本来は来る必要がなかったという人がいたりした。その子は途中から心が病んでしまい来たり来なかったりしながら卒業したと思う。その後は何回か転職して今はどうなっているか知る由もないけれど。

またある人は先生に対して注文・不満を洩らす理由が、自分の子に先生の目が行き届いていないという事。

先生という職業が親の代わりとでも思っているのか、過度な期待があるようで私にとってはそんなものは自分が子供の頃から期待したことがなかったから不思議だった。

先生とて人の子、力量のある先生もない先生もいるのだし、言ってはなんだが当たりはずれもある。振り返ってみて果たして尊敬出来る先生がいたのか疑問だ。

そして私自身だって良い保護者だったかは疑問なんだから、お互い様なんだと思う。

蓋を開けて見ると小さな集団の中でさえ、自分の子と他の子を比較して優劣づけたりランク付けをしている人もいたりした。そんなことに何の意味もないと思うのだが、我が子が可愛いとそうなるものなのかもしれない。虐待よりはいいと思うけれど。

でも特別支援学校はそれなりに生徒の人数の少なさと、卒業後の就職を見据えた就労に関する体験が授業だったからよく面倒を見て貰ったと感謝している。

限られた親としか関わりはなかったけれど、息子同様で気の合う人は出来ないまま卒業して今に至る。元々お付き合いが苦手な自分の性分があったとは思う。

どんなお付き合いも時間が経てば終わるのが救いだと今なら思える。

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