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雑記ブログ

朝から雨が降っていて気温も低い。

昨日のうちに少しだけでも草取りをしておいて良かった。

朝から友人とラインのやり取りはやはり市川猿之助さんやジャニーズ関連のこと。

認知症のお母さんが実家に帰られて、友人が以前のように実家に通うようになり生活は以前に戻りつつあるようだ。

お母さんが友人の家にいたころは毎日「帰りたい」と泣いたり怒ったりのお母さんの話が多かった。

でも今は実家に帰ったお母さんの気持ちが落ち着いていて、窓やドアに外からの鍵さえかけていたら徘徊する心配もないらしい。

友人のラインもお母さんの話題が減って芸能情報に関しての意見だったり、透析での他の患者さんに関する愚痴だったりと以前の状態に戻っている。

認知症のお母さんにとって、と言うか認知症じゃなくてもやっぱり自分の住まいが一番だという事だ。

お母さんが友人の家にいる方が毎日実家に通わずに済んで楽じゃないかと思っていたが、不機嫌が毎日数時間も続くと一緒にいる者が精神的に参ってしまう。

実家に毎日食事を届ける友人も大変だが、それでも機嫌良く実家で暮らすお母さんを毎日確認して帰って家で自分の時間を過ごせることの方が気持ちは休まる。

問題は冬場の通いが大変だということかと思うが、それも今心配しても仕方ない。

友人のお母さんの認知症がこれ以上悪化しないでくれたらいいと思う。

YouTube生配信

昨日はYouTube「さかがみ家のチャンネル」で坂上忍さんが期間限定カフェをしている現場から生配信があると知っていたから、配信時間までにやることをやってしまおうと張り切っていた。

生配信の予定時刻が14時30分だったので14時20分までとアラームをセットして家の周りの草取りをする。

草取りを時間通りに終わらせてさかがみ家のチャンネルを見ようと待機する。

待機の間も沢山チャットコメントが溢れ、自分も試しにコメントを入れて見たりして開始の遅れも気にならずワクワクする感覚で楽しむ。

それにしても坂上忍さんの到着が遅れているのかな…時間通りとは行かず、15分~20分位遅れてやっと始まった。

けれど今度はどうしたことか不具合が生じて坂上忍さんが画面に登場して何やら話しているが声が聞こえない。

何故か音声が繋がっていないようだし画面も途切れてしまう・・・。

せっかく楽しみにしていたが何度か生配信に入りなおしたものの、音声が入らないのは変わらず諦めて後で見ることにした。

結局夜になって消化不良だったYouTube「生配信」を生ではなく見ることは出来た。

ちょっと張り切っていた分肩透かしを食ったようだが楽しく視聴出来た。

後から見た配信では坂上忍さんは少し引き気味でスタッフの中でも芸能人でもあるお2人を中心に据えて話が展開した。

保護ハウス開設当初からのスタッフさんでお2人目当てでカフェに来られるお客様もいるのではないかと思う。

坂上忍さんお1人で喋っていて音声が聞こえなかった時には一体何をおっしゃっていたのか聞けず、残念ではあったが、3人でのお喋りも楽しめた。

輪廻転生

「死んで生まれ変わる」というのはもう一度生まれたいという事。

自分ならもう一度人生を生きるのはごめんだと思う。

市川猿之助「死んで生まれ変わろうと」両親と話し合いと説明 老老介護状態だったことも明らかに

日刊スポーツ

老老介護は今の時代普通にあることだが、歌舞伎役者さんのお宅だから介護サービスなどは使っていなかったんだろうか?

家族で話し合って死を選ばなきゃならないほど精神的に追い詰められたのはやっぱり芸能の世界に身を置いていて、一般人とは違うのかもしれない。

でもよく言う『死んだ気になって』生き直すとかやり直すことは出来たと思う。

一度死んだと思えばそこからは生まれ変わったと言える気がする。

そこまでに至るような衝撃を味わった経験がない自分だから言えるのかもしれないが。

昨日も思ったのはセクハラやパワハラをどこまで本人が自覚していたか、悪いと思ったら変えるしかないし性癖じゃなければ変えられるはずだと思う。

家族で話し合いをするくらいだから家族の絆は深かったのだと思うが、そこには誰も入り込めない結束や繋がりを感じる。

猿之助さんは息子さんだからお母さんとの絆が深かったかもしれない。

話し合いの果てにも死を選ぶしか結論は出なかったとしたら短絡的じゃないのかと、自分ごときが何も知らずに思うことだが。

こんな時、歌舞伎が好きな作家林真理子さんなら猿之助さんのニュースをどんな風に見て考えるだろうと思う。

社会問題にも恋愛問題にも造詣が深い林真理子さんの考えを知りたいものだ。

昔は林真理子さんのエッセイ見たさに「週刊文春」を買っていたが今は立ち読みすることもなく美容室のタブレットで時折読む程度だ。

「週刊文春」でのエッセイが単行本になると買っているがその時々の思いを知るには、時間が過ぎてしまっているから新鮮さはなくなっている。

たまには「週刊文春」を買ってみるのもいいかもしれないが、最近は値段も上がって500円近くするんじゃないだろうか。

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